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2017.9.14

2nd day プラスワン 松澤知加子

<Photo:Atsushi Tomura/Getty Images>
LPGAレジェンズチャンピオンシップ KRYカップ 周南カントリー倶楽部(山口県)

 この日もファンがプレーを見守り、声援を送った。その人数は少なくなったとはいえ、アイドルゴルファーは精一杯、魅せることに徹する。40代のラストシーズンは、残すところあと1日限りだ。来年1月で50歳になる。「単に年をとっただけで、人間としての深みや厚みが、まだまだ。だから、私はゴルフが必要です。人生の修行というのか、学習する場所がコース」。

 ゴルフを始めたのは1983年。中学を卒業し、高校入学前の春だった。バブルの絶頂期である。「父と一緒に練習場へ行くと、中村(寅吉)先生がいらした。私はゴルフを知らないし、興味もない。そのおじさんから、1球打ってみろ、といわれてその通りにすると、『おまえ、うまいな。プロになれ』といわれました。私が、すごい人だと知らなくても、おらが町の大統領的な方に、そういわれれば父、母もその気になる。私は将来、花屋さんか、喫茶店で働きたいと思っていた」。

 プロゴルファーになって良かったことは、ツアー優勝という返答が来る-という想定のもとに質問をする。「アイドルと呼ばれた。アイドルになれたことかな。メディアの皆さんが破格の扱いをしてくださったおかげです。当時はともかく、今も…。60代以上の男性がアイドルといってくれますからね」とうれしそうに話した。ファンはもちろん、マスコミ受けも抜群だ。ところが、「レギュラーツアーで戦っていた頃を、振り返るとはずかしくなる」とも。

 そんなことを漏らしたのは、出産を経験してからだ。「育児をするようになって、自分が何も知らないことに気付かされた。一般社会の基本のきも知らない。たとえば、電車やバスを利用してどう目的地へ向かうか。ツアーでは車の移動が当然でしたからね。小学校ではPTAの役員をして、コピーとりを初体験。それから文章も書かないと…。子どもと一緒に知識を得て成長したんだ、とわかります」と苦笑した。

 一方、長男・能大さんが中学校で、こんな宿題が出された際のエピソードを披露する。『尊敬する人は、誰』がテーマ。「お亡くなりになった(LPGA広報アドバイザー)諸岡誠彬さんが私のことを書いてくださった記事がありました。それを添付して、プロゴルファーとしての母を、尊敬していると書き、提出したんです。びっくりしたと同時に、涙を流すほどうれしい。プロになって心から良かったと感じた」と明かす。

 育てながら、育つ。創立50周年を迎えたLPGAがますますの発展を遂げるよう、こう提言する。「レジェンズツアーに、プロテストを合格したばかりのルーキーを出場させてほしい。彼女たちが歩んできたのは、アマチュアのJGAスタイル。サバイバルのLPGAスタイルをいち早く、身に着けるのは、やはり経験豊富な先輩プロから学ぶことがいい。私もそうしてきた。もっとツアーが活性化されると思います」。



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