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2018.11.24

Day 3~プラスワン 大会競技委員長・江間陽子

<Photo:Chung Sung-Jun/Getty Images>

LPGAツアーチャンピオンシップリコーカップ 宮崎カントリークラブ(宮崎県)第3日

 ファイナルデーをどう迎えるか。「いつも通りです」。淡々と話した。今大会の競技委員長が最後の花道になる。5年間の熟考の末、ツアープロからサポートする立場へ転じたのは2000年。世紀をまたぎ19年間、競技委員をつとめた。

 「95年ぐらいから、先輩の石井千枝さんからお誘いをいただきました。でも、あの頃はまだツアーでプレーしていたし、競技委員は私には向かないと思っていたのです。皆さん、私の外見だけで判断されるよう。しっかりものに見えるらしい。でも、あまりいいたくはないけど、おっちょこちょい。忘れ物をすることが多かったです」と告白する。現在を知っていれば、とても信じられないエピソード。

そして、「競技委員になってから、ローピングで足をひっかけ転ぶなど、恥ずかしいことが結構あった。スピーディーにジャッジをしなければ…。最初は気持ちばかりが先走ったから」と加えた。

 女子プロゴルファーでは、異質の経歴をもつ。美大の造形科を卒業した。「18歳の時、引っ越しをした際、インテリアコーディネーターという職業を知りました。これだ、とピンときたわけですね」といい、ゴルフへの転機はその2年後に訪れる。「高校でバレーボールをしていた。その後2年間、インテリアの勉強で常に机へ向かっていたわけですから、体がなまってしまって。体を動かす意味で、ゴルフを体験したことがこの道へ誘ってくれた理由です」。

 初ラウンドは190。体内に秘めていた負けん気がむくむくと頭をもたげる。「ショックでした。このままでは終わらない。以来、半年間、練習に明け暮れ、2度目のラウントで奇跡が起こった。ハーフ39が出たんですよ。もちろん、まぐれだと思ったけど、当時は若かったから才能がある。プロになる-とゴルフに夢中でした」。

 ところが、試練に次ぐ試練。プロテストへ合格したのは30歳だった。「以前、プロテストは年2回。研修生をしながらです。全部で14回ぐらい受験したでしょう。ただ、30歳までにライセンスをとれなければプロは、あきらめようと決めていた。ラストチャンスが良かったのでしょうね」と遠くをみつめるような目で語っている。

 そして、ハッとした表情を浮かべながら、「そういえば、ここ7年ぐらい、クラブを握っていません。19年間は、あっという間。次、何をするかは決めていないけど、ゴルフに携わる仕事ができれば幸せですね」といい、「少し、ゆっくりした時間をもちたいとも思う。絵を描くのもいい。海外旅行も…。フィンランドへオーロラを見に行きたい」。名勝負をサポートした19年、ご苦労さまでした。

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