2016.11.26
3rd day プラスワン~湯本 弘子~
LPGAツアーチャンピオンシップリコーカップ 宮崎カントリークラブ(宮崎県)3日目
ファイナルでファイナル。いよいよ、残すのは、あと1日だ。今大会のLPGA競技ディレクター兼競技委員長が花道となる。「振り返るのは、あすの晩にしましょう。まだ1日、残っている。無事、競技が終了するまで気が抜けない」と話す。定年で勇退。ツアープロから、競技委員へ転じて20年の節目である。
「長かったといえば長い。短かったといえば、短かったかもしれない。隆盛の歴史を間近にできたことが、とっても幸せです。選手の技術が右肩上がりで上がった。それに合わせて、クラブの進化も目を見張るものがありましたね。宮里藍さん、横峯さくらさんが出てきてから、トーナメントへ足を運んでくださるギャラリーがグングン増えて…。今は、とにかく若い選手が多い。私の頃とは隔世の感がある」。
キャリアをスタートさせたのは、21歳。「たまたま親類に好きな人がいたからです。高校を出て、秩父国際カントリークラブへ入った。プロテストに合格したのが28歳。とてもうれしい。あの時のうれしさは今も覚えている。絶対、トッププロになる、と誓った。でも、樋口(久子)さん、大迫(たつ子)さん、岡本(綾子)さん、涂(阿玉)さんがとにかく強い。努力を重ねても、相対的、精神的なものが明らかに違いました」。フーッとタメ息をつく。
不惑を迎え、周囲からのアドバイスもあり、競技委員への転身を決意した。「まだ、試合でプレーしたい。そうはいっても、生活をしなければなりません。自分はいつも第一線の現場にいたかったから」と話した。では、競技委員になってはどうだったか。「何もないことがいい。しかし、トラブルはつきものです。すぐに対応できるように、プレーヤ―とは違った緊張感の毎日でした。私は、ゴルフが仕事で、趣味もゴルフ。休日に、プレーします。プレッシャーがないパッティングは本当に楽。以前にも増して、ますますゴルフが好きになった」。
今年8月、還暦を迎え、心に決めたことがある。「ゴルフは楽しい。引退なんて、考えたことがない。レジェンズツアーのグランドシニアの大会を目指しています」と明かす。取材中、左手は、バイブルサイズのゴルフ規則裁定集に乗せていた。残り1日、まだ気を抜くわけにはいかない。
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