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2023.5.6

プラスワン2023~50回目のマイルストーン

<Photo:Atsushi Tomura/Getty Images>

ワールドレディスチャンピオンシップ サロンパスカップ 茨城ゴルフ倶楽部 西コース(茨城県)第3日

 新緑に彩られたコース。集う人がすべてキラキラと輝いている。1973年にスタートしたワールドレディスチャンピオンシップサロンパスカップは今年、50回目の開催。JLPGAツアーが一般に浸透していなかった時代、日本にいながら世界のトップを間近にできるトーナメントとしてワールドを冠した大会だ。

 「日本テレビ開局20周年企画のひとつでした。当時、外国勢は圧倒的な存在。女子ゴルフの魅力を多くの皆さんに知ってほしい。世界のトップクラスのプレーを間近にできる機会をつくろう、というコンセプトで発足したと聞いている」。大会委員をつとめる大山昌作さん(=日本テレビ放送網株式会社スポーツ局スポーツ事業推進本部シニアプロデューサー)は話した。

 第1回、永遠に語り継がれるようなレジェンドが登場。アマチュアとして出場したローラ・ボーだった。ゴルフもさることながら、高校では飛び級で学ぶなどの才媛だ。高校卒業後にはスタンフォード大学の奨学生として打診があったものの、女子ゴルフ部がなく断念。周囲からプロ転向をすすめられた。

 ところが当時のLPGAは、18歳未満が試合へ出場できない。そこで18歳の誕生日を迎える5月を前に、ひと足早く日本デビューを飾っている。想像以上の大フィーバー。ブームを巻き起こした。

 通算4回の出場。最高成績は75年の4位タイだったが、ゴルフファン以外からも絶大な人気を得た。テレビ番組、CM、雑誌などはもちろん、珍しかった女性モデルのカレンダーも大ヒットを飛ばす。

 大会は、たくさんの話題を提供しながら、時代を代表する選手が歴代優勝者へ名を連ねてきた。J・ブラロック、B・ダニエル、J・スティーブンソン、L・ノイマン、K・ウェブ、A・ソレンスタム、M・プレッセル、L・トンプソン…。

 では、大山さんが印象に残る選手といえば、「大会PRに関しては、ピンク・パンサーのニックネームがあった、ポーラ・クリーマーかなぁ。成田空港から直接、ヘリコプターでコースへ。さっそうと下りてくるシーンを待ち構えて撮影した。視聴者の皆さんの反響がとにかくすごかった。一方、プレーではレクシー・トンプソンが強烈。16年の優勝は、まさに格の違いを見せつけたといっていいでしょう。ビジュアル、パワフル、人柄も抜群。アスリートのすばらしさを実感しました。そして、19年の渋野日向子さん。当時はプロ2年目で、それほど知られていなかった。でも突然、覚醒したかのようにバーンと来る。中継を見ていて、とにかく笑顔が素敵。印象に残る。そのままツアー初優勝を飾って、勢いはとどまらず全英女子オープンまで制した。まさに、シンデレラです」と振り返った。

L・トンプソン<Photo:Atsushi Tomura/Getty Images>

 さらに、日本人選手の変遷について、「80年代なかばまで、女子ツアーの人気は高いとはいえなかった。だから、テレビが魅力を引き出しながら、女子の人気を高めていこう-そういう動きだったと思う。ただ、昨今は黙ってみていても、新しいスター選手が次から次へと登場する」と前置きし、「適当な表現かどうか、ちょっとわかりませんけどね。今、選手がテレビや配信をうまく使って自己表現をしている。こちらがおぜん立てをする前に、です。これこそ勢いの原動力。私は思います」と大山さんは語る。

 08年、大会は公式競技へ昇格。翌09年から現在の茨城ゴルフ俱楽部へコースが移った。目指したのは世界基準。「茨城ゴルフ俱楽部さんが毎年、忠実に仕上げてくださる。しかも世界基準で。だから、選手の実力が問われる、という自負をもっている。ワールドレディスサロンパスカップで優勝することは、真のチャンピオンという証明です。優勝者は世界のメジャーで通用する逸材-という図式ができあがっているでしょう」(大山さん)。

 50回目の女王を目指して、各選手が奮闘中だ。ただし、微笑むのはたったひとりしかいない。歴史はまた刻まれる。

                                   (青木 政司)

渋野日向子<Photo:Masterpress/Getty Images>

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