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2017.9.23

2nd day プラスワン~第45回ミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープン~

<Photo:Atsushi Tomura/Getty Images>

ミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープンゴルフトーナメント 利府ゴルフ倶楽部(宮城県)2日目

 45回目の秋がきた。ズシリとくる優勝杯は、歴史の賜物である。今年はLPGA創立50周年。今大会は現在開催中のツアーで、2番目に古い。1973年、ミヤギテレビ開局3周年を記念して、松島国際女子オープンの名称でスタート。第1回優勝は、LPGA相談役・樋口久子だった。「まだ、協会の会員数が100人に満たない頃。予選カットなどない時代です。コースもオープンして日が浅かった。ただ、ジャン・スティーブンソンが出場するなど、当時としては画期的な試合。電車に乗って、キャディーバッグを担いで、ボストンバッグを下げ、全国を回った」と、懐かしそうに振り返っている。

 大会実行委員長の宮城テレビ放送・高野昌明取締役は、創成期のエピソードを話してくれた。「最初にゴルフトーナメント開催を提案したのは、東京支社長で、ゴーサインを出したのは、2代目社長の亀井文蔵です。ゴルフへの造詣が深く、何よりも好きだった。優勝杯も、ぜひ立派なものを、と。20キロはあるでしょうか。本気の表れだと感じました」という。

さらに、こだわったのが「手づくり」。「大会が、長続きするキーワードは期間中、社員が運営をしてきたことがある。私は入社して、第11回大会から参加。最初は駐車場の警備が担当でした。社としてみれば、イベントと放送が一体になることが少ない。だから楽しく、みんな一生懸命です。規模が年々、大きくなっていく。ミヤギテレビが全国で知られる。そんな気持ちで取り組んできました」と誇らしげだ。

最大のポイントは、地元の東北高が生んだ、宮里藍の登場。2003年大会から現在の利府ゴルフ倶楽部で開催され、アマチュアとしてツアー優勝を飾る。一大ブームを巻き起こす。前週、現役を引退したレジェンドのスタートは宮城だった。

一方で、危機に直面したのは、2011年。東日本大震災だった。「開催の可否は当然のように、議論した。しかし、決め手となったのは、選手の皆さんから、ぜひ、お願いします、というメッセージを受けたからです」。

そうはいっても、コースも大きな被害を受けた。「18番グリーンがへこんでしまった。とりわけ、インコースは海側のため、被害がすごかったですよ。がけ崩れなどで、約2カ月程度、営業ができない。幸いというか、震災から試合までに約半年の期間がありました。コースの皆さんのご協力もあって、素晴らしい大会になったと感じます」。継続は力になった。

そして、03年11月に開院した、こども病院へ選手が慰問することも、恒例に。「04年、最初に訪れたのは宮里さんです。優勝時、アマチュア規定で副賞の車を受け取ることができない。そこで、スポンサーさんとご相談して、こども病院へ寄贈することになりました。今も、その車は大事につかってくださっている。藍ちゃん号と名前がついています」と語っている。これもまた、地域に根付き、積み上げた結晶といえるのではないだろうか。

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