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2025.12.16

サプライズ 樋口顧問に特別功労賞

<Photo:Atsushi Tomura/Getty Images>

平常心を座右の銘とする、JLPGA顧問・樋口久子でも、時には驚くことがある。この日、JLPGA特別功労賞を受賞することはまったく知らされていなかった。ステージに上がると、「サプライズでした」が第一声だった。

10月13日、傘寿を迎えた。会場では、祝福の拍手が2倍、3倍にもなったのは当然だろう。華やかなステージが誰よりもお似合いだ。「長年にわたり、支えてくださった皆さまのおかげです。ゴルフが好き。立場は変わっても、ゴルフに携わることができるのはうれしい」と話した。

傘寿のごあいさつのカードには、「今は健康維持のため、週2回は、なるべく歩いてのラウンドを心がけております」と記したという。そして、伝説が加わった。自らの誕生月を祝うように何と、ホールインワンを達成。あわせて75のスコアでプレーし、エージシュートの快挙まで加わった。まさに、ゴルフは生涯スポーツ。

1967年11月、JLPGAの第1期生としてプロデビュー。ツアー通算72勝(国内69勝、海外3勝)という金字塔を打ち立てた。77年には日本人選手として初の海外メジャー、全米女子プロゴルフ選手権を制覇。1ストロークでも少なく上がる-引き算の美学を終始一貫、貫いた。

ただし、生涯でただ一度だけゴルフをやめたいと思ったことがある。「75年、パッティングの不調でファン、スポンサーの皆さんの前でプレーすることがつらかった。体は元気でも肝心のプレーがうまくいかない。それでも、東海クラシックで優勝することができた。あのシーズン、もし勝てていなかったら人生がかわったかもしれない」と振り返った。


<Photo:Atsushi Tomura/Getty Images>

一方、現役を退いた97年からは、日本女子プロゴルフ協会の会長に就任。ツアーの発展に心血を注ぎ、クォリファイングトーナメントの導入、才能がある多くの選手が試合に出場できるよう、アマチュアにも門戸を開くなど、数多くの改革を行った。

とはいえ、もっとも苦心したのはスポンサー獲得に奔走した日々だろう。「会長をお引き受けした時は、ツアーがどん底ともいえる頃。これ以上、悪くはならないからと腹をくくって、良くしていけばいい。それだけを考えた。好きなゴルフのためですから苦労などと思ったことはありません」。

現役時とは対照的な、試合数を増やす-足し算を美学としてJLPGAツアー、隆盛のための礎を築いた。03年、日本人初の世界ゴルフ殿堂入りなど、たくさんの功績によって幾多の表彰を受けている。中でも際立っているは、平成26年度の文化功労者に選出されたことかもしれない。ゴルフ界では初の顕彰。文化功労者とは日本において、文化の向上発達に関し、特に功績顕著なものを指す称号だ。つまり、女子ゴルフが文化として公に認められた証である。

「きょうの特別功労賞、私がひとりでいただいたわけではありません。皆さんの支えがあればこそ、です。これからも大好きなゴルフのために自分でプレーすることはもちろん、いろいろとお役に立ちたい」と控えめに語った。女子ゴルフ界のレジェンド。ゴルフは生涯スポーツのロールモデルを日々、つとめている。

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